私は今年24歳になり、オーストラリアでAリーグのプロサッカー選手を目指して、セミプロチームで毎日もがいています。

そんな私がサッカーを続けている理由が三つあります。

一つ目は偉大な従兄弟の兄の存在です。
私はサッカーの街と呼ばれる浦和出身で、サッカーというものがいつも身近にある環境で育ちました。三人男兄弟の三男として、育つ過程で5歳と3歳離れた2人の兄、すぐ近所に住む5歳と2歳離れた2人の従兄弟の兄、例えていうのであれば五人男兄弟の末っ子として日々可愛がられ、いじめられながら、四人の兄たちと毎日サッカーに明け暮れていました。
1番私と歳の近い従兄弟の兄とは特に仲がよく、幼稚園の頃からいつも一緒で親友であり、兄であり目標である存在です。それは今でもなに一つ変わらず、同時に負けるのが一番嫌な相手でもあります。
そんな彼は18歳で浦和レッズのユースからトップ昇格し、同年には日本A代表にまで選出されて、国中が期待する存在でした。その後は数々の大きな怪我に泣かされつづけながらも、Jリーグで活躍し続けています。 僕にはそんな才能がありません。しかし、気持ちだけは人3倍強い自信があります。才能がない分、その兄貴より歯を食いしばって頑張ってきた自信があります。
今はまだまだ遠い目標ですが、いつか彼のチームと試合をして勝つことがぼくの人生の夢です。

二つ目は、高校三年生で迎えた最後の冬の全国選手権、負けたら引退の中、私達のチームは全国ベスト8、勝てば全国のサッカー少年の夢国立のピッチでプレーすることができます。1-2で迎えたロスタイムに私のアシストから起死回生の同点ゴールが生まれました。応援してくれていた人が涙を流すくらいの劇的な同点弾で、そのままPK戦を告げるホイッスルが鳴り響きました。だれもがこの試合勝ったなと思いました。しかし、サッカーの神様はそのまま勝たせてくれるほど甘くはありませんでした。自分のPK失敗で僕たちが必死に、必死に追いかけてきた夢舞台への道が閉ざされるとは思ってもいませんでした。これが自分の人生で1番悔しかった経験です。同時に、この経験があったからこそ、大学サッカー、そして現在オーストラリアサッカーを夢中に頑張れています。
三つ目は、大学四年でのインディペンデンスリーグ全国大会での優勝です。大学3年時に股関節を疲労骨折し、9ヶ月間という大学生活の1番大切な時期に大怪我をして、Jリーグへの道を閉ざされてしまった中、最後に全国の舞台で復帰、優勝し、人生で初めての嬉し泣きを経験することができました。
今までのサッカー人生、苦しかった大学サッカー、寮生活。言葉では表せられない全てのこと一つ一つが報われた気持ちでした。サッカーの素晴らしさ、仲間の大切さ、やってきたことは裏切らないこと。サッカーという1スポーツがどれだけ人を感動させるのか。人生は全てサッカーから学んでいるんだと強く実感しました。私はこの時、一生サッカーと生きていくことを決めました。

この三つ目が私が今でも夢を追いかけている理由です。
サッカーに明け暮れてバイトもできなかった私に、貯金があるわけもなく、バイトもサッカーも両立できて1番現実的な道が今に繋がるオーストラリアでした。
つてもなにもなく、1人Aリーガーになった人がいるという程度の情報でした。オーストラリアについてからは、毎晩住所を調べてから、迷いながらクラブを一件一件訪ね、拙い英語で自分でサッカーのレジュメを作成し、毎晩手渡しで関係者に渡し、事前に作ったカンペを見ながら英語で練習参加をお願いしました。
代理人もいない私に(つける余裕もありませんでした。)なかなか上手くいくわけもなく、クラブに辿り着けない、関係者に会えない時などがよくありました。それでもなんとか練習参加までたどりつけても、語学、サッカー文化の違いから落とされ続け、プライドもズタボロになりました。しかし、過去のサッカー人生から学んだ僕の辞書には諦めるという文字はありませんでした(大学時代はメンタルバカというあだ名でした)。
ようやく初めてのクラブ(3部相当)と契約できた時には、帰りの夜道で1人で嬉しさのあまり叫んだことを覚えています。毎日バイトとサッカーに明け暮れた日々はあっという間でしたが怪我に悩まされ、文化の違いサッカースタイルやフィジカルの違いにも苦しみました。

オーストラリア2年目は、ナショナルプレミアリーグという2部相当のクラブでプレーすることができました。プレミアリーグからは、1チームに2人しか外国人がプレーできないため、すごく契約が難しいです。私は100人以上集まったトライアルで、神が宿り、三得点を記録し、2週間で契約を勝ち取りました。
しかし、私のサッカー人生は、やはり簡単ではなく、シーズン途中に1年目に怪我をした内側靭帯を悪化させて悪循環に陥ってしまいます。プレーしては休みの繰り返しで生活も苦しくなっていきました。出場機会も減り、給料も減少。
物価のとても高いオーストラリアでは安時給のアルバイト代では減っていく一方で、怪我をしているのに長時間立っていなくてはいけない、けど稼がなくてはいきていけない。満足のいく食事もできない時もありと、悪いサイクルに陥っていました。

私はこのままでは終われません。諦められません。
来年はワーキングホリデービザ(1~2年間有効で、制限なく働け、学校に行っても行かなくても良いとても自由なビザ)使ってしまったため、学費も払いながら学校に通い、アルバイトもしてサッカーもしなくてはなりません。
来年からの滞在費、学校代(学生ビザのため)その他たくさんのお金が必要です。もうサッカー選手として若くはない24歳。ラストチャンスだと思っています。

本気でサッカーに専念するため、夢を実現させる為に、皆さんのお力を貸して頂きたいです。

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PROFILE

競技 サッカー
生年月日 1992年10月1日
出身 埼玉県
競技歴 アマ18年 / プロ2年

RESULT

  • 西武台高校出身
    高校サッカー全国総合体育大会(インターハイ)全国3位
2015年
  • 9位 Box Hill United:オーストラリア National Premier league(2部相当)4位
2014年
  • (副主将) Manningham united:オーストラリア State league division 1(3部相当)
2013年
  • 大学サッカー インディペンデンスリーグ全国大会優勝
2012年
  • 国士舘大学:大学サッカー 全国大学選手権 準優勝
  • 高校サッカー選手権 全国ベスト8